関橋 英作(せきはし・えいさく)マーケティング・コミュニケーション・ユニットMUSB青森県生まれ。外資系広告代理店JWTでコピーライターから副社長までを歴任。ハーゲンダッツ、キットカット、デビアス・ダイヤモンド、NOVA英会話学校など、数多くのブランドを担当。その多くを、トップブランドに導き、ギャラクシー賞グランプリをはじめ、NYADC賞、ACC賞など数多く受賞した。特にキットカットにおいては、クリエイティブの斬新さに加え、ビジネスの結果を出さなければ受賞できないAME賞(アジア・マーケティング・イフェクティブ賞)を2年連続グランプリの快挙。アジアマーケットナンバーワンを勝ち得た。また、日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラーを取得。消費者インサイトを深く洞察する。女子美術大学・拓殖大学非常勤講師。大リーグの「野茂」と、近鉄の「野茂」は別人“悔いが残る”。そのひと言が野茂英雄選手の引退宣言を象徴している。私にはそう思えました。おそらく、多くの日本人がいちばん辞めてほしくないスポーツ選手だったに違いありません。その証拠に、ほとんどすべてのマスメディアに大きく取り上げられていました。スポーツ紙では、星野ジャパン五輪代表選手決定のニュースを押しのけて、すべて一面スクープ。衝撃の大きさを物語っています。野茂選手とは、一体、どんな人物なのでしょうか。記事のヘッドラインは、こんな感じです。「トルネード日米席巻」「侍メジャーのパイオニア」「トルネードが開いた道」「選手生命を延ばしてくれた」「ひとつの時代が終わった」「最後までスタイル貫き」「いまの自分は野茂さんのおかげ」「NO MORE NOMO」などなど。このヘッドラインは、単に野球選手のパフォーマンスだけをたたえてはいません。それ以上に、人間として、日本人として、先駆者としての野茂に惜しみない拍手を送っているように思えます。もちろん、野茂選手の残した、日米通算201勝、奪三振王6回(日4回、米2回)、日米通算奪三振数3122個、大リーグ史上4人目の両リーグでのノーヒットノーラン達成など、投手としての実績は文句のつけようがありません。しかし、成績だけならもっとすごい選手もいる。火の玉投手と呼ばれたノーラン・ライアン選手は、常時160キロ以上の速球を投げ、奪三振数5714個、ノーヒットノーラン7回を達成しました。では、野茂選手の魅力は、何。 探らずにはいられませんでした。正直言って、私自身、近鉄時代の野茂選手には、あまり関心はありませんでした。トルネード投法という奇妙な投げ方で、新人でありながらバッタバッタと三振の山を築いていく姿は痛快でしたが、しょせんパリーグという当時は低人気野球での出来事だったのです。(パリーグファンの方ごめんなさい。でも、いまはホークスファンですから、パリーグ万歳です、念のため)そのころ清原選手やイチロー選手から奪った三振のシーンも、野茂選手が大リーグで活躍して以降に放映されたものを見て、知ったのが実情です。とはいえ日本では超一流の野球選手が、突然、大リーグ行きを宣言したのです。1994年、プロ野球選手として5年が過ぎた時でした。日本中がバッシングの嵐。「身勝手」「わがまま」「恩知らず」「もう日本では野球ができない」などのひどい言葉が、マスコミをにぎわせたのをいまでも覚えています。当然、近鉄球団とは交渉が難航。日本では任意引退という厳しい宣告を受けたのです。いまでは当たり前になったポスティング制度は、この問題がきっかけでした。これからです、私が野茂選手を意識し始めたのは。そして、すぐに大ファンになってしまいました。1995年にドジャースに入団したその年、小学生の息子を連れて、ドジャースタジアムへ行ったほどです。周りの米国人が、“NOMO”と叫んでいるのを聞いて、すごくうれしかった。本当に誇らしかったのですとのこと
先駆者だったよね!
[引用元:日本経済新聞]









